元気が出ることば
プロフィール
私の骨髄移植スケジュール

 病気の形態により、そして人によっても治療法はまちまちです。
私の治療法が全ての方にあてはまるとは限りません。
 また、移植の方法も日進月歩でかつ施設によって無菌室の設備も違います。
そのため、私が体験した当時のものと現在のものとでは、様々な部分で変わって
いることがあるということを念頭においてご覧下さい。


<約1ヶ月前から>

 血液検査、染色体検査、肺機能検査、心機能検査などを行います。
虫歯も治療をしなければなりませんので、私はまず、歯科に入院し、虫歯を2本抜歯しました。当時、血球が無いに等しかったので、血が止まるように血小板輸血、白血球除去赤血球を事前に輸血を行う。
そこから細菌が繁殖しないように、徹底的に処置室も消毒しながらの処置。術後は熱が出ないよう、抗生剤の点滴をうけました。


<22前 (11997111111)2>

 歯科から、血液内科の病棟に移動。


<18日前(1997年11月15日)>

 全身剃毛をしました。無菌室に入るには現在生えている毛に付着している菌が、毛穴から進入するのを防ぐ為、髪の毛はもちろん手や足の産毛、下の毛まで顔以外は全部剃らなければなりません。
移植の際、強い抗がん剤で骨髄の中を叩くので、悪い細胞はもとより正常な血球も殺してしまうのです。
更地にして新しい骨髄を入れないと、互いのリンパ球が攻撃し合うので、それを避ける為に、私の白血球をゼロにしなければならないのです。
白血球がゼロという事は、身体は全くの無防備状態で弱いウィルスや細菌でも命取りになる危険性があるからです。
初めは脱毛クリームを使っていましたが、皮膚が赤くかぶれて途中から髭剃りできれいに剃りました。
刃を新しいものに何度も取り替えながら、約3時間かかりました。
でも、次に生えてくる毛は抗がん剤の副作用ですぐ抜けてしまうので、剃毛は一度きりです。 
バリカンで頭を剃られる私の姿を見た母は、涙を浮かべていました。
母の涙に、ぐっとくるものがあり寂しい気持ちになりました。


<16日前(1997年11年17日)>

 無菌室入室にあたり、太い静脈カテーテル(ヒックマンカテーテル)を胸に挿入します。
投薬、輸血、高カロリー栄養剤の点滴(吐き気による栄養摂取困難の為)を受ける為です。
皮膚の外から管が出ており、そこからラインがつながり点滴を注入するしくみです。
それは手術室で施術しなければならないので、なんとも言えない恐怖感に襲われました。テレビでしか見た事のない、手術台のライトに緊張し、身体が硬直していたのを今でもはっきりと覚えています。
あまりの緊張のせいか、それとも筋肉質が災いしたのか、その日は管が入らず、再度19日に やり直しをする事になりました。 
この時は力が抜けていたので、すんなりと無事に 施術できたのです。


<14日前(1997年11月19日)>

 無菌食が始まりました。
なまものは一切禁止で、食べ物にも注意をはらわねばなりません。
お皿ごとにアルミホイルを何重にも巻き、加熱殺菌した食事でした。
お箸もアルミホイルでぐるぐる巻きでした。
白血球が約2000以下になると、なまものは禁止だったらしいのですが、私は、その時までその事実を知りませんでした。
もう数年前から、私の白血球は1500〜1600だったのですが、お刺身やサラダなど、普通に食べていました。
納豆もだめなのですよ!これも一応”菌”なのですから・・・・・。
納豆菌で死ぬ場合だってあるらしいのです。
(知らなかったとは言え、今まで何事も起こらなくて良かった!と思いました。)
でも振り返ってみると、食事の後、結構下痢をしていた気がします。
ちなみに、無菌食は、いつも大盛りでペロリと平らげていました。
こんな食欲旺盛の私に、移植後、こんなに辛い日々が待っているとも知らずに・・・・・。

<8日前(1997年11月25日)>

 無菌室入室直前に、全身にイソジンゲルを塗り、消毒をしました。
全身真っ裸でまるで泥人間。目の中以外は全部です。
看護婦さん4人がかりの作業で、くすぐったくとても恥ずかしかったです。
そして入室。
すぐに無菌水のシャワーを浴び、あらかじめガス滅菌された下着とパジャマを着用し、これからの移植に臨みました。
無菌室は、絶えず清潔な風が流れており、クリーンルームとも呼ばれています。
事前に無菌室に持ち込むすべての物品は、滅菌しなければなりません。


<7日前 (1997年11月26日)>

 ブスルファンというカプセルにつめた薬が始まる。
1日に3回食後に4カプセルずつ飲みました。
その薬はグラム単位で飲むらしく、量が多くて飲みづらかったです。
29日まで服用しました。
そしてバルーン(尿道に管を入れる)を入れました。
明日からの新たな薬は、出血性膀胱炎になりやすいため、尿をチェックしたり、尿量を量るために必要だったのです。
お小水は管を通り計量袋に直接流れます。
バルーンはすごく違和感がありましたが3日ぐらいで慣れました。


<3日前 (1997年11月30日)>

 朝10時から12時の間、エンドキサンの抗がん剤が点滴で入る。
超大量投与でした。
悪い細胞を根絶する目的と、新しく移植する骨髄細胞を私のが”異物が来た”と攻撃しないようにするためなのです。

<2日前 (1997年11月31日)>

 再びエンドキサンを点滴投与する。
今までとはうって変わって 、とても身体がだるくなる。
副作用を身をもって感じることになった。


<移植当日 (1997年12月3日)>

 妹の骨髄液を点滴にて5時間かけて移植する。

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